総合芸術と生活美学を目指して~僕の審美眼に叶う愛しい物達~
beaute777.exblog.jp

今はなきレオン・ド・リヨンの森鳩。生涯で一番美味しかったジビエ。あまりの美味しさにまた食べにフランスに行ったほどです。これを超えるジビエ料理に出会いたい!!
自己紹介、お気に入りリンク
自己紹介

美味しいものが大好きで、音楽、映画、絵画、文学における抒情美を追求している「るしぇるしぇ」といいます。


誕生日 14.4.1979

尊敬する人物

レオナルド ダ ヴィンチ
稀有の総合芸術者です。

好物:
フォワグラ、ピジョン、
グルヌイユ、ジビエ
アバ、ビターチョコ、
ワイン、ハーブ系のお酒、
アルマニャック、日本酒
刺身、湯葉、

嫌いな食べ物:
添加物を加えて
いる食べ物、
ジャンクフード、
ファーストフード、
インスタント食品、
チェーン店の料理、
創作料理(フランス料理
なら正統的なフランス
料理を食べたいので、
でも一店だけ例外はあり
ます。)


お腹をただ満たすための
食事ではなくて、
ゆっくりと時間をかけて
味わい、全身で美味しさ
を喜ぶことができる、
そんな料理が食べたい
です。

るしぇるしぇへのメールは

esthetisme 
アットマークexcite.co.jp
までお願いします。

---------------------------------
お気に入りリンク

日本料理の総合的食べ歩き

るしぇるしぇの食べ歩き専用
のブログです。

落合桜 パリの風

三光院のHP

飛騨季節料理、肴の店主の日記

アート at ドリアン

ラファエル前派の部屋


幸せな食卓

今日は何を飲む?

ご馳走はこころの上に

驢馬人の美食&医療な日々

横浜発 驢馬人の美食な日々

★マーケティング戦略ビューロー@P-styleブログ★

Rafega  バレエな日々

--------------------------------
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<   2009年 05月 ( 7 )   > この月の画像一覧
ギュスターブ・モロー 「一角獣」
想像の動物である一角獣は、狩人には捕まることができなく、処女のみが捕らえることができるために女性の「純潔」の象徴とされています。古くから、処女母神信仰と結びついていて、マリアの処女性と関係づけられてきました。触れたものをすべて浄化する力を秘めた角をもっていて、その角はまた、陽物崇拝的な象徴性を持っています。

女性の懐に頭をもたせかける一角獣の図像は、ロマネスクやゴシックの聖堂の祭壇画がきっかけとなり、15世紀から16世紀に北方ヨーロッパの絵画やタピスリーに描かれるようになりました。
現在、パリのクリュニー美術館にある「一角獣を連れた貴婦人」の6枚のタピスリーはモローが一角獣の主題を描き始める契機となった作品です。
15世紀末から16世紀初頭に製作されたこの美しいタピスリーは、1840年代初めに作家ジョルジョ・サンドによって、ブーサックの城館で発見されました。
1882年に国家の所蔵となり、一般に公開されてまだまもない頃、モローはこの主題を描き始めていました。
一角獣に見られる女性と動物というモティーフは、ラ・フォンテーヌの「寓話」の連作の中でモローが取り組んでいたものでした。
1879年に、マルセイユの美術愛好家であるアントニー・ルーは、ラ・フォンテーヌの「寓話」の水彩画を作家たちに競作させることを思いつき、1881年5月にその作品を一同に会して展示しました。モローは25点出品し、宝石を粉にして描いたようだと称された見事な作品で他の作家を圧倒したため、以後モローひとりにこの連作は依頼されました。
合計64点に及ぶこの連作を契機に、モローは動物の描写を研究にするようになりました。1881年の8月と9月には連日のように動物の檻の前でスケッチに励み、動物の骨格を研究するために自然史博物館の解剖学陳列室にも通っていました。

d0059205_224327100.jpg


恋するライオン(水彩画の原画をフェリックス・ブラックモンがエッチング)

この連作のひとつである「恋するライオン」は、以後頻繁に登場することとなる、大きな赤い帽子をかぶった貴族的な裸婦像の最初であり、女性と動物という組み合わせを含めて、一角獣のまさに原型となる作品です。


d0059205_22455299.jpg


ギュスターブ・モロー 「一角獣」

d0059205_22461264.jpg


ギュスターブ・モロー 「一角獣」

モローの代表作のひとつである「一角獣」は、クリュニーのタピスリーから、その主題だけでなく、一角獣の表現や女性たちの衣装・装身具・状況設定など多くを引用しています。
リヨン出身のブルジョワであるル・ヴィスト家のために製作されたタピスリーは、赤地に切花と小動物を散らした「千花文」の装飾的背景の中に、楕円形の島形をした草花の生い茂る「緑の野」が置かれ、その上に主題となる一連の寓意的図像が織り出されています。この「閉ざされた庭」には、処女性の隠喩が含まれています。モローの「一角獣」でもまた、きらびやかな貴婦人たちと一角獣が集まるのは、海に囲まれた「島」という閉じた空間です。緑の野に衣装の赤が映え、タピスリーの赤と緑の対比に呼応しています。

クリュニーのタピスリーは、6枚のうち5枚が「五感」を象徴したものです。モローの豪奢に着飾った貴婦人は、「味覚」の中の貴婦人と衣装やポーズなどに似ている部分があります。その横顔や髪型、宮廷衣装はまた、ピサネッロの「聖ゲオルギウスと王女」における女性の姿を思い起こさせるものだとも指摘されています。

一方、画面前方に横たわる裸婦は、大きな赤い帽子とケープ、抜けるような白い肌をしていて、「恋するライオン」の女性を思わせ、初期の「一角獣」からの展開を示しています。剣を左手に、右手で視線を交わす一角獣を愛撫するその様子は、タピスリーの「視覚」と「聴覚」の図像との関連性を示しています。

また背景には、ロレンツォ・コスタの「イザベラ・デステの宮廷のアレゴリー」のような、夢幻的な船と遠景の描写を、「オディッセウスとセイレーンたち」同様に再び引用しています。
幻想的な水辺の大きな樫の木の下で展開する夢のように優雅なこれらの図像が、画面の中で美しく調和し響き合い、神秘的で静謐なアルカディアを創り上げています。

最後までアトリエに残した作家の愛着が強い「一角獣」は、未完成ではありますが、モローの作品の中で最も魅力的なもののひとつです。

参考文献


「2005年度のギュスターブ・モロー展」の図録
[PR]
by esthetisme | 2009-05-30 22:48 | ギュスターブ・モロー
ウォーターハウス オフィーリア
d0059205_23151488.jpg


シェイクスピア劇の中で最も親しまれていて、何度も表現された主題のひとつである「ハムレット」第4幕第7場のオフィーリア狂乱の情景を描いています。

オフィーリアは、一度は愛を誓ったハムレットの心変わりに耐えることができず、父ポローニアスの死に深く悲しみに沈みました。
奸計でデンマーク王位を奪い取ったクローディアスは、ハムレットの殺害を企て、表向きはイギリスへの使命を託して送り出します。
ハムレットがいなくなると、オフィーリアは野原に出て、野性の花や薬草を集めて身を飾り、まるで恋人をなじかるのように、花の名前や伝承された花言葉を口ずさみます。
「これがマンネンロウ、思い出の花。お願い、私を忘れないで。それから三色スミレ、もの思いの花。」
オフィーリアが溺死した場所や状況は、王妃ガートルードが、オフィーリアの兄レアティーズに語り聞かせます。
















小川のほとりに柳の木が斜めに立ち、
白い葉裏を流れに映しているところに、
オフィーリアがきました。
キンポウゲ、イラクサ、ヒナギク、
それに、口さがない羊飼いは卑しい名で呼び、
清純な乙女達は死人の指と名づけている
紫蘭の花などを編み合わせた花冠を手にして。
あの子がしだれの柳の枝に
その花冠をかけようとよじ登ったとたんに、
つれない枝は一瞬にして折れ、
あの子は花を抱いたまま泣きさざめく流れに
まっさかさま。裳裾は大きく広がって
しばらくは人形のように川面に浮かびながら
古い歌をきれぎれに口ずさんでいました、
まるでわが身に迫る死を死らぬげに、
あるいは水のなかに生まれ、
水の中で育つもののように。
だがそれもわずかなあいだ、身につけた服は
水をふくんで重くなり、あわれにもその
美しい歌声をもぎとって、川底の泥の中へ
引きずり込んでいきました。(小田島 雄志訳)

ウォーターハウスの美しい作品には、シェイクスピアの韻文に語られた細部の描写が随所に見られ、オフィーリアの乱れた心や無力感を伝えます。
穏やかですが、暗くて不吉な小川の水面には、睡蓮の浮葉と白い花が層をなして浮かんでいます。
この水面に魅了された画家は、2年後の「ヒュラスとニンフたち」で同じモチィーフを取り上げ、差し招くニンフたちに誘われて水死する少年を描きました。


参考文献 「英国ロマン派展」図録
[PR]
by esthetisme | 2009-05-24 23:17 | ラファエル前派
三光院 5月の精進料理
やはり何年も通い続けているといいことありますね。5月はいつもなら「空豆とわかめ煮」が今月の料理なのですが、まだまだ三光院の春から夏の料理はあるんですよね。
それが今回初めての「グリーンピースの葛とじ」と「グリーンピースご飯」です。

d0059205_22131017.jpg


「空豆とわかめ煮」は、空豆の味と香り、形を生かして淡く炊き上げるもの。空豆とわかめを一緒にあわせるところにこの料理の素晴らしさがありますね。わかめのつるっとした喉こしが爽やかでいいんですよ。
空豆は上を向いて育つから空豆と言うようで、実がなって重くなってきて45℃ぐらいのころが食べごろみたいです。

d0059205_22134452.jpg

d0059205_2214939.jpg




「グリーンピースの葛とじ」と「グリーンピースご飯」は、グリーンピースの鮮やかな緑色が新緑が目に美しいこの時期にぴったりです。グリーンピースの甘みがなんとも言えません。
小粒の愛らしい形と鮮やかな緑色を生かして、「空豆とわかめ煮」と同様に初夏の到来を表現する。季節、季節の恵みを敏感に表現できるところに日本料理の魅力のひとつがあるかなと。他の料理ではこうはいかないと思います。
[PR]
by esthetisme | 2009-05-22 22:14 | 三光院の精進料理
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ/海の呪文
d0059205_1139267.jpg
d0059205_11394359.jpg






























右 リゲイア・サイレン/ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ  1873年
左 海の呪文/ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ  1875年~77年

美しい歌声で船乗りを誘惑し、殺してしまうのが海神ネプトゥヌスにつかえる海の精セイレンです。
この油彩画で、セイレンは、林檎の木に結わえた楽器を爪弾いて、水夫を誘います。楽器には日本の琴が用いられていて、琴の背後には海が見えます。琴の音色にあわせて海鳥が飛来しています。この鳥は、誘惑されて命を落とした男の魂を表していて、その男の運命を物語るように、セイレンの赤い髪には「愛は危険」の花言葉をもつキャロライン・ローズの花冠がつけられています。琴の下には赤い金魚草が咲いていて、画面左下には、ギリシア神話でアドニスの死を嘆いてウェヌスが流した涙が花となったものとして知られるアネモネが描かれています。このような花々が匂い立たせるセイレンの妖しさと誘惑の力を、画面上部左右の赤い林檎の実が更に強調します。
1877年、絵の完成時に書かれた同名のソネットが額縁に記されています。その最初の8行は次のようにうたわれています。

リュートが林檎の木陰に掛けられ
閃くような指が弦のあいだに甘美に張られた呪いを織りなす
荒々しい音楽が高まるにつれ
海鳥が木の枝を目指して海を離れる
だがいかなる音に彼女は身をかがめて聞き入っているのか
どのような地獄の深淵の囁きを彼女は聞くのだろうか
風に沿って、入り江に沿って
地球の何処から届く響きに応えながら

この作品を描く以前の1873年、ヴァイオリンを爪弾く女性を描いた「ヴェロニカ・ヴェロネーゼ」を所有するF・R・レイランドは、ロセッティに対作品を所望しました。
ロセッティは、裸のサイレンが弦楽器を弾く「リゲイア・サイレン」の購入をすすめましたが、裸体画のため拒まれました。
プロテスタントの慎みと道徳的な厳格さを求めるヴィクトリア朝では、ヌードは道徳を堕落させると批判されましたが、しだいにイギリスの歴史や神話を題材にした裸体画は許容されることになります。しかし神話から取材しても私的な雰囲気をたたえるロセッテイの裸体画の購入にパトロン達は躊躇しました。
2年後ロセッティは、コールリッジの詩「クーブラ・カーン」の中の2行「ダルシマーを引く乙女/かつて私は幻視を見た」を題材にして、「海の呪文」の習作となるクレヨン画に製作にとりかかります。この習作でもモデルの右胸がはだけていました。
ロセッティはドレーパリーで女性の身体を被うことにためらいがあり、「いかなる種類のドレーパリーでも僕自身のアイデアを殺すことなく描きいれることはできない」と訴えます。
ワッツ=ダントンによれば、晩年、エネルギーのすべてを神秘主義な気質に支配されたロセッティは、身体を描く手法を変えて、身体を霊化する作業に立ち戻りましたが、それは禁欲主義があってはじめて保持される神秘を身体に与えるという矛盾を孕んだ試みでした。
神秘への傾倒が深まるほど、身体は霊的象徴と化します。その象徴性を高めるために、ロセッティを裸体に神秘の顕れをみようとします。けれども、そうして神秘を身体に追求するにつれて、ロセッティは身体そのものにのめり込んでいき、「自身の想像力の奴隷」となっていくのです。
「海の呪文」を完成するにあたり、ロセッテイは購入者のレイランドの要求に応えて、セイレンをドレーパリーで被い、モデルも変えました。あたかもドレーパリーは、身体と神秘との間を彷徨い、かたちを持てない「イメージ」そのものであるかのようです。そのセイレンのドレーパリーと海鳥が同色となっているのは、男たちを誘惑するはずであるのセイレン自身も犠牲者であり、運命に身を任せていることを示唆しているからです。
さきほどに引用したソネットはこう続いていきます。「彼女は自らの呪いの中に沈んでいる」
ドレーパリーの波は、女の赤い髪、リュートを奏でる手とともに海の波を暗示していて、絵を見る人を波間に誘っていく効果を持っています。
上のソネットも、運動を暗示する単語を重ね、問いを畳みかけながら、鑑賞者を絵の中に引きずり込んでいきますが、最後に「ついに宿命づけられた水夫が、彼女の声を聞き/彼女の裸の胸を押しあてる岩にのぼり、死んでいくのか」と問い、鑑賞者を絵の外部に連れ戻します。
ロセッティの絵と詩は、たがいに説明しあう関係から、それぞれ自立性を保ちながら、共振あうものへと変わっていました。そうしてロセッティは、音楽と詩が生まれる瞬間と、イメージが「かたち」となる瞬間を共鳴させようとしました。
若き日に、当時のジョルジョーネの作と見られていた「田園の合奏」に詩を読んだロセッティは、いま、女性の身体あるいはドレーパリーの襞のあいだに到来する音楽とイメージが響きあう神秘の瞬間に耳を傾けています。

参考文献

「ウィンスロップ・コレクション展の図録」

この作品が所蔵されているフォッグ美術館にはたくさんロセッテイの作品がありまして、
2002年のウィンスロップ・コレクション展で展示された「クリスマス・キャロル」、「ベアータ・ベアトリックス」、「祝福されし乙女」、「パンドラ」、「アウレア・カテナ(黄金の鎖」、「ラ・ドンナ・デッラ・フィネストラ(窓辺の淑女)」、「イル・ラモスチェッロ(小枝)、「マイ・レイディ・グリーンスリーヴズ」、「ダンテ」の習作2点のほか全部で29作品所蔵されています。
[PR]
by esthetisme | 2009-05-17 11:44 | ラファエル前派
黒色すみれ 5/15 演奏会
d0059205_23255425.jpg

d0059205_23272629.jpg


黒色すみれを見に行くのは去年の8月の夏のワンマン以来でひさびさでした。

この日は新アルバムの発売がされるということで、去年の2月のライブから聴いていたたくさんの新曲がようやく音源化されてほんと嬉しいです。曲としてわかるんだけど歌詞は何を歌っているの?と思う曲がたくさんありましたし、たとえば乙女讃歌なんて何度もライブで聴いても出だしの歌詞がはっきりわかりませんでした。

本日のライブはちょっと時間をおしたあたりに新アルバム「ゴスロリック」の一曲目「ゼリー状のたてがみのシンドローム」が流れる中、お2人が登場。
続けて2曲目の「赤い靴シンドローム」から演奏スタート。お2人の衣装は今年の4月から5月のフランスツアーの時に披露した緑のドレスで海の妖精ドレスと言うみたい、それにハートヘッド。

「赤い靴シンドローム」の後は「赤りんご、毒りんご」、「乙女讃歌」と以前のライブで既に知っている曲が続きます。にぎやかな曲でなくても知っているので体が自然と動きます。というか体を動かすと曲を覚えやすいので。

続いてサポートの青月さんが登場し、「夢見る少女人形」、ドヴォルザークの曲に歌詞をつけた「午睡」を演奏。「午睡」はドヴォルザークが汽車に揺られながら曲を思いついたそうで、ゆかさんも歌詞に何度も汽車という言葉を登場させていますね。ドヴォルザークが故郷を思いながら弾いたようにノスタルジックな雰囲気に満ちた曲です。途中のほのぼのとしたリコーダーの演奏もいいですね。
「午睡」の後は青月さんが、ステージにぶらさがっている星灯りをいくつかつけて退場。

星明りがいくつか会場を照らす中、次の曲はさちさんが甘く、少女のような歌声で歌う「キラキラ星夜想曲」。はさちさんの可愛らしい雰囲気がそのまま曲になっていますね。聴いたことがないんですけどさちさんのソロアルバムの曲もこんな感じでしょうかね。
それからこれまたぴったりなフランスの一番古いシャンソンの「月の光に」。フランスでは子供の頃から知っている有名な曲だけにフランスで演奏すると一緒に歌ってくれたりとお客さんのうけがよさそう。
歌と歌の間では歌詞を膨らませて説明していました。ペンを探していたはずなのに最後はドアが閉じて終わってしまう、その後の続きが気になる終わらせ方ですね。

次は初めて聞く「あの子のうちに」。レトロな雰囲気に懐かしさを覚えるといった感じだけどどこかで聞き覚えがああるような、そんな気分にさせてくれる曲。アコーディオンとバイオリンのノスタルジックな旋律が耳によく残ります。

この後はサポートメンバーが全員登場し、会場が一体化できる「ゆけ!少年十字軍!」です。ゆかさんが、「前の曲が暗いから盛り上がるの難しいよね」なんて言っていましたが、いえいえその曲を演奏したらすぐ盛り上がれます。それに「曲を聞きたいじゃくなくてやりたいか」と言って煽ります。そうイェッサーをみんなでやらないとね。
以前は1番だけでしたが、2番もできて、しかも曲中の2人のやりとりの固定したものまでできて音源化されてめでたしですね。とにかく盛り上げていく時はこの曲からでしょうか。

「お医者さんごっこ」は跳ねるようなリズムにまくしたてるように歌う、これまたノレる曲。中間の転調も緩急がついていいですね。

盛り上がってきたところでしっとりと抒情的な雰囲気の「サンゴと潮」で一旦、ブレイクダウン。とにかくメロディが美しくうっとりとしてしまいます。

本編ラストは昭和歌謡風の「幸せな王女様」でまた盛り上げます。去年の8月の時に聞いた時以来ですが、「永久に美しくすみれの花よ」の続編ということで応援歌みたいな感じで作ったそうです。
歌詞を読んでいると私は自分の選んだ道は、人と違うけど自分で選んだだけに後悔なんてないみたいな力強さ、前向きな感じがしていいですね。

アンコールの時は、着替えがあるかなと思いましたがなく、同じ衣装で背中に片方の羽をつけて登場しました。それを見てあ!あの曲を演奏するとすぐ思いました。

そう「片羽の天使のパバーヌ」です。切ない雰囲気の曲調と翼を失くして空に飛び立てないといった感じの歌詞に思わず涙腺が緩んでしまいます。

次は心をくすぐるような甘いメロディの「チェックメイト」。眠る前に聞いたら素敵な夢が見れそう。

それから今日の演奏会の終わりに向けて「月光恋歌」でまた盛り上げていきます。「ゆけ!少年十字軍!」の時のように観客の反応がいいですね。
ラストはお約束の「永久に麗しく、すみれの花よ」でいつものように大盛り上がりのうちに終了。

ライブの後はサイン会。以前のそれも「ぜんまい少女箱人形」にもサインをしてもらっている人がいて、え、他のアルバムもありかよと思いつつ、僕も「ぜんまい少女箱人形」を持っているし、それ以外のアルバムも全部持っていけばよかったなと思いましたけどね。

ところでアルバム購入特典でもらったポストカードとアルバムのサインが見事にかぶってしまいました。下の写真にある衣装のページにサインしてもらえばよかったかなと。もらったポストカードとアルバムのブックレットをちゃんと確認すべきでした。
このサインのほかに新しいチラシを載せたかったのにもらえなくて残念。もうなくなったんですかね。これからアルバムの発売だというのに。

帰ってから待ちに待ったアルバムを聴きましたが待った甲斐がほんとあった素晴らしい内容ですね。もう何度リピしたかわからないぐらいこの土日は聴きまくっています。
聴いていると次のワンマンが待ち遠しくなってきます。次はいつでしょうね。
[PR]
by esthetisme | 2009-05-17 06:48 | 日記
ギュスターブ・モロー 「オイディプスとスフィンクス」
d0059205_16271627.jpg
d0059205_16274574.jpg



































左 オイディプスとスフィンクス 油彩 1864年
右 オイディプスとスフィンクス 水彩 1882年ごろ

1864年、既に38歳になっていたモローはサロンに「オイディプスとスフィンクス」を出品し、本格的に画壇へのデビューを果たしました。
題材は古代ギリシアのテーバイ王家にまつわる悲劇的な伝説の一場面です。テーバイ王ライオスの子であったオイディプスは、息子に弑されるであろうというアポロンの神託を恐れた父王に殺されそうになったが、家臣の計らいで密かに生き延びます。成人の後、神託は的中し、オイディプスは父とは知らずにライオスを殺してしまいます。当時テーバイでは怪物スフィンクスが謎を問いかけ、答えられないものを殺してしまうため住民を悩ませていましたが、オイディプスはその謎を解いてスフィンクスを退治し、新王として迎えられて、何も知らずに母イオカステを王妃としますが、後に全てが明らかとなって破滅してしまいます。
モローは、1808年にアングルが描いた同主題の作品や、古代の浮き彫りなどを参考にして、オイディプスにスフィンクスがしがみつく独自の構図を生み出し、両者の緊迫した対立を際出せました。
構想は1860年ごろから始まり、全体2年間のイタリア滞在で培われた成果が遺憾なく発揮されています。
発表当時か色調などにマンテーニャの影響が指摘されていましたが、特に岩山を背景にした全体の構図に「聖セバスチャン」との類似が顕著に見られます。
オイディプスは、左手に槍を持ち、右足に体重をもたせかけた古典的なコントラストのポーズをとり、髪型はルネサンス風の長髪で優美さを増しています。
こうした若く美しい青年と女の顔を持つ半人半獣の怪物との対立という設定は、後年モローの作品の中で次第に強くなっていくことになる、男性対女性、精神的なもの対肉体的なものという2元構造を既に予告するものです。
水彩は、後年サロン出品作品の構図に基づいて画家自身が製作したものです。
[PR]
by esthetisme | 2009-05-10 16:28 | ギュスターブ・モロー
三光院 4月の精進料理
京都と奈良に残る13の尼門跡に関連する作品が上野の東京藝術大学大学美術館の「皇女たちの信仰と御所文化 尼門跡寺院の世界」展でただいま展示されています。
13の尼門跡の中に曇華院がありますが、その曇華院で修業し、曇華院の精進料理の流れを汲むのがもう何度も食べに行っている三光院の精進料理です。

4月は毎月楽しみにしている筍料理。今年も本堂近くの竹林で筍堀をして頂けるかなと思ったら当日はあいにくの雨で今年は中止。
でもゆでた筍をもらましたので持ち帰ってすぐ調理できます。なぜなら筍はゆでて一晩おいたほうがいいからです。
硬い部分はすりつぶして竹の子団子に、中央部分はたけのこと蕗の煮物や炊き込みご飯に、穂先は梅やこんにゃくと和えて食べ、切っていて出たくずは佃煮に。


d0059205_14542060.jpg



お寺の周りで取れる山椒の葉で木の芽和え。木の芽和えでこんにゃくと和えるのはまずないのではないかなと。それにしても山椒の清々しい香りはほんと好き。ちなみに器はこの料理のためのものなので1年に1度しか登場しません。

d0059205_14543496.jpg


天ぷら。煮て味をつけたものを揚げています。ほっこり甘い。

d0059205_14544723.jpg


筍のおばん。いつものとおり出汁を使わないからいくらでも食べたくなるさっぱりとした美味しさ。

あとはいつものお煮しめ、胡麻豆腐(この日は雨で寒い日だったので葛とじ)、木枯らし、昆布吸い物(いつもはなすのヘタですが今回は筍の穂先)、あわふのおでんでした。
[PR]
by esthetisme | 2009-05-05 14:59 | 三光院の精進料理