総合芸術と生活美学を目指して~僕の審美眼に叶う愛しい物達~
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今はなきレオン・ド・リヨンの森鳩。生涯で一番美味しかったジビエ。あまりの美味しさにまた食べにフランスに行ったほどです。これを超えるジビエ料理に出会いたい!!
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美味しいものが大好きで、音楽、映画、絵画、文学における抒情美を追求している「るしぇるしぇ」といいます。


誕生日 14.4.1979

尊敬する人物

レオナルド ダ ヴィンチ
稀有の総合芸術者です。

好物:
フォワグラ、ピジョン、
グルヌイユ、ジビエ
アバ、ビターチョコ、
ワイン、ハーブ系のお酒、
アルマニャック、日本酒
刺身、湯葉、

嫌いな食べ物:
添加物を加えて
いる食べ物、
ジャンクフード、
ファーストフード、
インスタント食品、
チェーン店の料理、
創作料理(フランス料理
なら正統的なフランス
料理を食べたいので、
でも一店だけ例外はあり
ます。)


お腹をただ満たすための
食事ではなくて、
ゆっくりと時間をかけて
味わい、全身で美味しさ
を喜ぶことができる、
そんな料理が食べたい
です。

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カテゴリ:ギュスターブ・モロー( 17 )
ギュスターブ・モロー 「岩の上の女神」
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ギュスターブ・モロー 「岩の上の女神」 1890年頃

非常に洗練された色使いによる繊細な水彩画で、水彩におけるモローの技法が如何なく発揮されています。

洞窟の暗闇にいる女神の頭は光を放ち、左手に神聖な笏を持ち、右手には緑色の蛇が絡みつき、右肩の上には鎌首をもたげたいます。宝石でかろうじて身を被った彼女は豪奢な錦のただなかに座っています。
彼女の上には極彩色の鳥が飛んでいます。

彼女に絡みつく蛇は護り手なのかエデンの蛇なのか判然としません。
彼女の神聖さゆえにあらゆる攻撃から彼女を護るためとも解釈できますし、
たこれまで蛇が絡み付いていた女性がうつむいて描かれていたのに対して、この作品では鑑賞者にその眼差しを向けていることから、閉じ込められ、求められるだけの女性から、自ら誘惑する女性へ変貌したと考えるとエデンの蛇とも解釈ができます。
晩年に描かれた蛇に巻きつかれた人物の絵画がありますが、それは肉体や物質性への囚われを意味しています。このようにモローの女性像は、美ならびに理想の象徴と誘惑ならびに堕落の権下としての2面性を持つことになるのです。

なおこの作品は横浜美術館に所蔵されていて、現在「フランスの絵画の19世紀展」で展示されてます。
またこれまで1984年の「モローと象徴主義の画家展」と1995年の「ギュスターブ・モロー展」で展示されたことがあり、両方の図録の解説から引用して本文を書きました。
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by esthetisme | 2009-06-27 23:22 | ギュスターブ・モロー
ギュスターブ・モロー 「サムソンとデリラ」 
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ギュスターブ・モロー 「サムソンとデリラ」 1882年

1880年代の初めは、水彩画の秀作が次々と誕生しました。小品ですが、この作品もモローの水彩画の魅力を存分に感じることができます。
デリラの顔立ちなどの繊細な線描とたっぷりと滲む色彩とが絶妙なバランスを見せています。
旧約聖書の語るデリラは、怪力無双のサムソンを倒そうとするペリシテ人に頼まれ、彼を籠絡してその力の秘密を聞き出し、彼が眠っている間に力の源である髪を切り落とします。
男を魅惑し、無力化し、ついには破滅へとおいやるデリラは、「ファム・ファタル」の典型です。
モローは他にもデリラを描いていますが、それらに比べ、この作品のデリラの表情は柔らかく、あどけない様子となっています。
シュルレアリスムの詩人であるアンドレア・ブルトンは、「15歳の時以来、私を魅了してやまないギュスターブ・モローの小さな水彩画のデリラの眼差し・・・・・彼女を見にしばしば私はリュクサンブールの美術館に出かけた」と語ったと言われています。

参考文献
「朝日グラフ別冊 モロー」
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by esthetisme | 2009-06-21 19:27 | ギュスターブ・モロー
ギュスターブ・モロー 「一角獣」
想像の動物である一角獣は、狩人には捕まることができなく、処女のみが捕らえることができるために女性の「純潔」の象徴とされています。古くから、処女母神信仰と結びついていて、マリアの処女性と関係づけられてきました。触れたものをすべて浄化する力を秘めた角をもっていて、その角はまた、陽物崇拝的な象徴性を持っています。

女性の懐に頭をもたせかける一角獣の図像は、ロマネスクやゴシックの聖堂の祭壇画がきっかけとなり、15世紀から16世紀に北方ヨーロッパの絵画やタピスリーに描かれるようになりました。
現在、パリのクリュニー美術館にある「一角獣を連れた貴婦人」の6枚のタピスリーはモローが一角獣の主題を描き始める契機となった作品です。
15世紀末から16世紀初頭に製作されたこの美しいタピスリーは、1840年代初めに作家ジョルジョ・サンドによって、ブーサックの城館で発見されました。
1882年に国家の所蔵となり、一般に公開されてまだまもない頃、モローはこの主題を描き始めていました。
一角獣に見られる女性と動物というモティーフは、ラ・フォンテーヌの「寓話」の連作の中でモローが取り組んでいたものでした。
1879年に、マルセイユの美術愛好家であるアントニー・ルーは、ラ・フォンテーヌの「寓話」の水彩画を作家たちに競作させることを思いつき、1881年5月にその作品を一同に会して展示しました。モローは25点出品し、宝石を粉にして描いたようだと称された見事な作品で他の作家を圧倒したため、以後モローひとりにこの連作は依頼されました。
合計64点に及ぶこの連作を契機に、モローは動物の描写を研究にするようになりました。1881年の8月と9月には連日のように動物の檻の前でスケッチに励み、動物の骨格を研究するために自然史博物館の解剖学陳列室にも通っていました。

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恋するライオン(水彩画の原画をフェリックス・ブラックモンがエッチング)

この連作のひとつである「恋するライオン」は、以後頻繁に登場することとなる、大きな赤い帽子をかぶった貴族的な裸婦像の最初であり、女性と動物という組み合わせを含めて、一角獣のまさに原型となる作品です。


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ギュスターブ・モロー 「一角獣」

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ギュスターブ・モロー 「一角獣」

モローの代表作のひとつである「一角獣」は、クリュニーのタピスリーから、その主題だけでなく、一角獣の表現や女性たちの衣装・装身具・状況設定など多くを引用しています。
リヨン出身のブルジョワであるル・ヴィスト家のために製作されたタピスリーは、赤地に切花と小動物を散らした「千花文」の装飾的背景の中に、楕円形の島形をした草花の生い茂る「緑の野」が置かれ、その上に主題となる一連の寓意的図像が織り出されています。この「閉ざされた庭」には、処女性の隠喩が含まれています。モローの「一角獣」でもまた、きらびやかな貴婦人たちと一角獣が集まるのは、海に囲まれた「島」という閉じた空間です。緑の野に衣装の赤が映え、タピスリーの赤と緑の対比に呼応しています。

クリュニーのタピスリーは、6枚のうち5枚が「五感」を象徴したものです。モローの豪奢に着飾った貴婦人は、「味覚」の中の貴婦人と衣装やポーズなどに似ている部分があります。その横顔や髪型、宮廷衣装はまた、ピサネッロの「聖ゲオルギウスと王女」における女性の姿を思い起こさせるものだとも指摘されています。

一方、画面前方に横たわる裸婦は、大きな赤い帽子とケープ、抜けるような白い肌をしていて、「恋するライオン」の女性を思わせ、初期の「一角獣」からの展開を示しています。剣を左手に、右手で視線を交わす一角獣を愛撫するその様子は、タピスリーの「視覚」と「聴覚」の図像との関連性を示しています。

また背景には、ロレンツォ・コスタの「イザベラ・デステの宮廷のアレゴリー」のような、夢幻的な船と遠景の描写を、「オディッセウスとセイレーンたち」同様に再び引用しています。
幻想的な水辺の大きな樫の木の下で展開する夢のように優雅なこれらの図像が、画面の中で美しく調和し響き合い、神秘的で静謐なアルカディアを創り上げています。

最後までアトリエに残した作家の愛着が強い「一角獣」は、未完成ではありますが、モローの作品の中で最も魅力的なもののひとつです。

参考文献


「2005年度のギュスターブ・モロー展」の図録
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by esthetisme | 2009-05-30 22:48 | ギュスターブ・モロー
ギュスターブ・モロー 「オイディプスとスフィンクス」
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左 オイディプスとスフィンクス 油彩 1864年
右 オイディプスとスフィンクス 水彩 1882年ごろ

1864年、既に38歳になっていたモローはサロンに「オイディプスとスフィンクス」を出品し、本格的に画壇へのデビューを果たしました。
題材は古代ギリシアのテーバイ王家にまつわる悲劇的な伝説の一場面です。テーバイ王ライオスの子であったオイディプスは、息子に弑されるであろうというアポロンの神託を恐れた父王に殺されそうになったが、家臣の計らいで密かに生き延びます。成人の後、神託は的中し、オイディプスは父とは知らずにライオスを殺してしまいます。当時テーバイでは怪物スフィンクスが謎を問いかけ、答えられないものを殺してしまうため住民を悩ませていましたが、オイディプスはその謎を解いてスフィンクスを退治し、新王として迎えられて、何も知らずに母イオカステを王妃としますが、後に全てが明らかとなって破滅してしまいます。
モローは、1808年にアングルが描いた同主題の作品や、古代の浮き彫りなどを参考にして、オイディプスにスフィンクスがしがみつく独自の構図を生み出し、両者の緊迫した対立を際出せました。
構想は1860年ごろから始まり、全体2年間のイタリア滞在で培われた成果が遺憾なく発揮されています。
発表当時か色調などにマンテーニャの影響が指摘されていましたが、特に岩山を背景にした全体の構図に「聖セバスチャン」との類似が顕著に見られます。
オイディプスは、左手に槍を持ち、右足に体重をもたせかけた古典的なコントラストのポーズをとり、髪型はルネサンス風の長髪で優美さを増しています。
こうした若く美しい青年と女の顔を持つ半人半獣の怪物との対立という設定は、後年モローの作品の中で次第に強くなっていくことになる、男性対女性、精神的なもの対肉体的なものという2元構造を既に予告するものです。
水彩は、後年サロン出品作品の構図に基づいて画家自身が製作したものです。
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by esthetisme | 2009-05-10 16:28 | ギュスターブ・モロー
ギュスターブ・モロー ケンタウロスに運ばれる死せる詩人
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ギュスターブ・モロー ケンタウロスに運ばれる死せる詩人  ギュスターブ・モロー美術館

華麗な死の雰囲気を暗示的手法で描く

ケンタウロスはいうまでもなく、ギリシャ神話に出てくる、腰から上が人間で、下が馬の形をした怪物です。
いま彼は死せる詩人を発見して山頂までたどりついたところです。かけがえのない貴重なものの喪失を心から惜しむように、首をたれ沈痛な面持ちで死体を支えています。
その筋骨のたくましい、むくつけき体軀と、いま息絶えて白蝋のように白々とした、女性と見まちがう詩人のたおやかな死体とは、いちじるしいコントラストをみせています。いうまでもなく、そのコントラストにモローの暗示的な意味が託されていることは確かです。その対比の意味をどう解釈するかによって、その絵の内容がさまざまに違ってきます。
たとえば、洗練された文明の巧緻さと、野性的な自然の粗暴さとの対比といった、そこから病める文明の終末を予測することも可能です。

鮮烈な緑・青・赤・黄色をきわ立たせて、場面はいっそう華麗な死の雰囲気を高調させています。たしかに華麗な死としかいいようのない場面の雰囲気なのです。言葉としては明らかに矛盾しているのですが、死が華麗であるというところに耽美主義的な印象の生まれる所以でもありましょう。
その意味では若い男性であるはずの詩人の体が、むしろ女性的であるというところにも、特別な解釈が成立しうる根拠が生じます。いくぶん頽廃的な、あえていえば男色的な雰囲気もないとはいえません。そのとき、おそらく落日を示すと思われる山の端の丸い太陽が、いかにも暗示的な効果を発揮してきます。
その夕焼け空に、1羽、2羽の鳥が舞っていますが、いずれもみなこの絵の沈痛さを助長するのに一役買っています。
なお、詩人のポーズが、モロー好みの「ナ」の字形ポーズの一変形であることはすでにお気づきのことと思います。

参考文献

新版 ほるぷ 世界の名画 7

日本の展覧会で何回か展示されていますが、今回は図録の解説ではなく画集の解説を載せました。時間があるときに展覧会の図録の解説も載せたいなぁと思っています。
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by esthetisme | 2009-03-12 23:47 | ギュスターブ・モロー
ギュスターブ・モロー 「夕べと苦しみ」
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ギュスターブ・モロー 「夕べと苦しみ」

1882年ごろ

エフリュシ・ド・ロチルド財団蔵

1995年に開催されたギュスターブ・モロー展
にて展示
1996年に開催された象徴派展にて展示


この作品は詩人ポール・ブルジェが描いた同名の詩に想を得て描かれた作品で、額縁の裏には出版されたものとは若干異なるその詩のヴァリントを、ブルージェ自ら書き記した紙片が貼り付けられています。
ボードレールの「悪の華」第2版に収められている「沈思」を模倣したこの詩は、擬人化された「苦しみ」と「夕べ」との束の間の逢瀬を歌っています。
「苦しみ」が優しい夕べを慕い、呼びかけると、彼は「西の空の階段」を彼女のもとに降りてきます。「夕べ」は「苦しみ」に囁きかけ、その手にとって座らせて、世界が死の眠りにつこうとしていることに耳を傾けるようにと促がし、残酷な人類の声が黙し、「苦しみ」の姉妹である「夜」が訪れようとしていることを語ります。
「苦しみ」は、影の恐ろしさ、「暗い空の何千もの目」の恐ろしさをを訴え、彼の「もの寂しい心地よさ」を愛していると言います。しかし、「夕べ」はもうその囁きを聞くことができません。立ち上がり、「苦しみ」を抱きかかえようとしますが、「夢のように」虚しく消えていき、「苦しみ」は1人残されてしまいます。

詩の中では、「苦しみ」と「夕べ」はフランス語の名詞の性に従って、それぞれ女性と男性として登場し、画面では、「苦しみ」は青衣をまとった金髪の女性、「夕べ」は赤衣を纏った男性として表されています。それぞれの色彩が、憂鬱と夕暮れを示すことは言うまでもありません。
モローは、この2人を水辺の美しい自然の中に置いて、詩には登場しませんが、飛び去ろうとしている水鳥を添えて時の流れを示し、左上の枝の間から覗く弦月によって、夜の訪れを表しています。

構図の写しや素描で見る限り、「夕べ」の頭上に飛んでいるのは鳥のようですが、彼の頭には蝶の羽のようなものがついています。モローは「夜」という書き込みのある素描で、夜の擬人像の頭の両側に蛾の羽のようなものを描いているところから、それが夕べや夜を擬人化するひとつの型になっていたことも考えられます。

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ギュスターブ・モロー 「夕べと苦しみ」 1870年ごろ ギュスターブ・モロー美術館所蔵

1984年から1985年にかけて開催されたモローと象徴主義展にて展示


モロー美術館には、横長のヴァリアントがありますが、そこでは「苦しみ」は竪琴を持った詩人の姿で表されていて、「夕べ」は月桂冠をつけていて、この作品の人物の背景に、「ヘシオドスとムーサ」以来のインスピレーションを授かる物のイメージがあったことを示しています。
またその題名や設定から「夕べと苦しみ」から派生したと作品と思われているのが「夕べ」です。夜が来て一人残された「苦しみ」の姿を描いたのかもしれません。「夕べ」はこのブログにアップしています。

「夕べ」と「苦しみ」 ポール・ブールジェ

“夕べ”は“苦しみ”にささやく、「いとしいお前・・・・・・」
彼は彼女の両手をとり、坐らせる、
彼女の心は“夕べ”の穏やかな愛撫に
どれほど慰められることだろう!

“夕べ”は言う、「いとしいお前、世界が死ぬのを聞いてごらん、
非情な人間たちの声は途絶えているだろう、
そしてお前の悲しく多産な妹、“夜”が近づいてくるよ、
この世には咲かない百合を腕いっぱいに抱えた妹が・・・・・・」

“苦しみ”は美しい“夕べ”に答える、「暗闇が怖いの、
人間も怖いし、つきまとう幽霊みたいな昼も、
あの暗い空にたくさん散りばめたまなざしが怖い、
あなたの気だるい優しさが好き」

だが“夕べ”はもうこの嘆きに耳を貸さず、立ち上がる、
愛する女を抱く望みはかなえられないまま、
すでに彼の姿は遠く薄れている、夢のように、
そして“苦しみ”はひとりこの地上に残される。

参考文献

朝日グラフ別冊 モロー 
象徴派展図録
1995年のギュスターブ・モロー展図録
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by esthetisme | 2009-03-05 15:06 | ギュスターブ・モロー
ギュスターブ・モロー / レダと白鳥
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ギュスターブ・モロー / レダと白鳥

亡きシャセリオーの思いでのために描き、1865年のサロンに出品した油彩画を後に水彩に直したものが本展覧会に出品されたものです。
若者は死の世界の入り口に立ち、霊魂を象徴する鳥があとについてきています。頭上には月桂冠がかざされ、若者の背後には剣と砂時計をもった蒼白い女神がさすらっています。
足元の子供はいまや消え果てんとする生命の松明の火を見つめるキューピッドです。

参考文献 「モローと象徴主義の画家たち展の図録」
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by esthetisme | 2008-12-27 19:37 | ギュスターブ・モロー
ギュスターブ・モロー/デズデモーナ
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デズデモーナは、シェイクスピアの悲劇「オセロ」の不幸なヒロインです。オセローの狂った嫉妬の犠牲となって罪なき彼女は殺されてしまいます。
シェイクスピアの作品は、モローがドロクロワやシャセリオーの影響下にあった若い時分からすでに彼の興味をひいていました。
モローはここで再びこのロマン派的主題を取り上げましたが、彼流に、あらゆる表面的な激しさを除去した表現になっています。デズデモーナは美麗な衣装に身をつつんだ遠国の王女として描かれ、ヴェネツィアかキプロスの宮殿の王座にこしかけ、竪琴によりかかって夢想にひたっています。
作者は、明らかに同時代の作品「ダヴィデ王」の構図を繰り返しています。誰を、何を、彼女を想っているのか。ひどく謎めいたこの作品は、画家が悲劇のどの場面を描こうとしたのかを見きわめることを許さないものです。


参考文献 「モローと象徴主義の画家たち展の図録」
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by esthetisme | 2008-06-30 23:58 | ギュスターブ・モロー
ギュスターブ・モロー/ガラテア
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ギュスターブ・モロー/ガラテア

ギリシア神話によると、海の精ガラテアにはアキスという恋人がいました。
ある日、一つ目の巨人であるポリュフェモスがガラテアに一目惚れします。
がそれは叶わぬ恋で、嫉妬に駆られたポリュフェモスはアキスを殺してしまいます。
モローはそのエピソードから、ポリュフェモスとガラテアの対面という象徴的な場面だけを採用し、絵画化しています。

モローは、所持していたオウィディウスの「変身物語」の1666年の古い版にある「美しいニンフを愛する恐ろしい巨人」を描いたのみならず、それを失意と崇拝の不朽の名作に、美女と野獣、またはスザンナと長老たちという主題を想起させる新しいイメージに仕立て上げました。

海の洞窟の植物を描く前に、モローが探求していた幻想的な効果を得るために、所有していた「マガジン・ピトレスク」やさらには、パリの自然史博物館の図書館で参照したイギリスの著名な本である「アンティオノロジア・プリタニカ」によって資料の詳細な調査を行い、たくさんの習作を水彩で描きましたが、それらはモロー美術館に収蔵されています。


海のほの暗い洞窟の中にその名のとおり白い裸身を浮かび上がらせるガラテアを、岩の裂け目から一つ目ならぬ三つ目の巨人が見つめています。
油絵の具の質感とかすれを生かした流れる黄金の髪、様々な色が重なった洞窟の闇に繊細な線描きだけでレースのように浮かびあがる海底の植物など、三次元の立体世界を再現をすることを旨とした当時の描法からすれば、新しい試みに溢れた絵画と言えます。

モローはこの「ガラテア」を「ヘレネ」と一緒に1880年のサロンへ出展しましたが、それは最後の出展となりました。
「ガラテア」は、まわりに展示された自然主義の作品やアカデミーの順応主義の作品とは一線を画す、まさに珠玉の作品と呼ぶにふさわしい様相を強調する大きな額縁に収められ、注目の的となりました。
それに驚く批評家もいれば、熱狂する批評家もいました。人々は、ダ・ヴィンチやゲーテやダーウィンを引き合いに出しました。

「さかしま」の著書であるユイスマンスは

「幻視者の筆の魔力」と褒めそやし、例えばその洞窟を「類まれな光り輝く宝石と、淡いブロンドの長い髪の中で眠っているガラテアの、乳房と唇とばら色に色づいた白い肉体が潜む、聖櫃のよう」と描写しました。

モローがこれ以後サロンへ出展をやめたのは、様々な要因が考えられますが、1874年からの印象派展の開催など反サロンの動きが活性化し、サロンの権威や体質が変化していったこと、長く入念な準備を必要とするサロン出展作よりも、手軽に自由な斬新な表現が得られる水彩画へ彼の興味が移ったことが考えられます。
そもそもモローは絵を売って生活する必要がない恵まれた環境にいたため、サロンへの出展には執着がなかったのです。

※サロン:当時の画家たちにとって自分の腕前を公表できる唯一の機会

モローは、最晩年にこの主題を再び取り上げました。愛好家に頼まれて描いたのでしょうか、現在ではフォッグ美術館に収蔵されています。
その時の作品では、ガラテアの美しさではなく、叶わぬ恋の相手に魅入るポリュフェモスの空しい憧憬がそのものがテーマとなっています。

1897年の11月にモローは、「ポリュフェモス」と題して次のように書いています

「地上の大きな瞳は、驚嘆し、心惑わされて、透明な水のかくも清らかな真珠の上に釘付けとなっている。底知れぬ深淵のこの花の凝視しつつ、愛と苦渋に眼差しは曇り、大きなな瞳はさびしげになる」

参考文献

「朝日グラフ別冊 美術特集 モロー」
「オルセー美術館 19世紀 美術家たちの楽園」図録
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by esthetisme | 2008-05-10 08:28 | ギュスターブ・モロー
ギュスターブ・モロー/オルフェウス
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ギュスターブ・モロー/オルフェウス

「オルフェウス」は、1866年のサロンに出品され、モローは、サロンのパンフレットに次のような説明書きをつけました。

「オルフェウス・・・・・
 1人の若いトラキア娘が、ヘプロス河の水に乗って運ばれ、トラキアの岸辺に流れ着いたオルフェウスの首と竪琴を悲しく拾い上げる。」

詩を吟ずれば猛獣までも聞き惚れるというほどの詩人オルフェウスは、愛妻を失った悲しみから歌わなくなり、他の女性にも見向きもしなかったため、バッカスを狂信する女性達の怒りを買い、八つ裂きにされ、遺骸は竪琴と共に河に流されます。
オルフェウスの首は、流れに鳴る竪琴に合わせてなお詩を口ずさんだと言います。
やがて遺体と竪琴はトラキアに流れ着きます。

盆の上に洗練者ヨハネの首を載せて持つヘロディアの姿は、聖書の図像とこれまで幾度なく描かれてきましたから、首を持つ女性の姿を書くのはさほど珍しいとは言えません。
それを当時、絵画やオペラの主題として流行していたオルフェウスの神話にあてはめ、絵画化したところにモローの独創があります。

この作品は国家に買い上げられ、リュクサンブール美術館に展示されました。モローの生前中に一般に公開されたのはこの絵画だけです。

アンドレア・ブルトン、マルセル・プルーストなど、この絵画に感銘を受けた芸術家は多く、プルーストは

「このオルフェウスの首から何者かが我々を見つめているのを感じる。それは画布に描かれたギュスターヴ・モローの思想、色彩による思想であり、それがこの盲いた両眼を通して我々を見つめているのである」と言っています。

このように絶賛される一方、神話描写の常道をぶち壊す画風は激しい非難を呼び、モローはサロンの出展を一時期ですがやめてしまいます。
そして邸宅に閉じこもるようになり、面倒を見ていた老母、弟子などわずかな友人達にしか会わない、隠遁した生活を送るようになります。


今回、イメージを載せたオルフェウスは油彩のものですが、ほぼ同年代の作とされる水彩のものは、詩という芸術が後世代に受け継がれてゆく、いわば詩芸の永遠性を暗示する内容になっていて、娘はサッフォーのような女流詩人らしく竪琴を肩にかけて月桂冠を被っています。
聖人のような円光すら持っていて、詩芸を擁護するミューズのような風格を漂わせています。
悲観を意味するレモンの木が、油彩では左隅に慎ましく描かれていたのに対し、ここでははっきりと彼女の背後に描かれています。
ちなみに水彩のオルフェウスは松尾博の個人コレクションとなっています。

参考文献

朝日グラフ別冊 モロー
週刊朝日百科 世界の美術 モローとルドン
象徴派の絵画 朝日新聞社

これまでアップしたギュスターブモローの絵画の一覧
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by esthetisme | 2008-04-26 18:32 | ギュスターブ・モロー