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総合芸術と生活美学を目指して~僕の審美眼に叶う愛しい物達~
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今はなきレオン・ド・リヨンの森鳩。生涯で一番美味しかったジビエ。あまりの美味しさにまた食べにフランスに行ったほどです。これを超えるジビエ料理に出会いたい!!

by esthetisme
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自己紹介

美味しいものが大好きで、音楽、映画、絵画、文学における抒情美を追求している「るしぇるしぇ」といいます。


誕生日 14.4.1979

尊敬する人物

レオナルド ダ ヴィンチ
稀有の総合芸術者です。

好物:
フォワグラ、ピジョン、
グルヌイユ、ジビエ
アバ、ビターチョコ、
ワイン、ハーブ系のお酒、
アルマニャック、日本酒
刺身、湯葉、

嫌いな食べ物:
添加物を加えて
いる食べ物、
ジャンクフード、
ファーストフード、
インスタント食品、
チェーン店の料理、
創作料理(フランス料理
なら正統的なフランス
料理を食べたいので、
でも一店だけ例外はあり
ます。)


お腹をただ満たすための
食事ではなくて、
ゆっくりと時間をかけて
味わい、全身で美味しさ
を喜ぶことができる、
そんな料理が食べたい
です。

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甘美で優しく、とても親しみやすいマリア ムリーリョ 「無原罪のお宿り」
そろそろプラド美術館展に行こうと思い関連本を読んで予習をしています。
プラド美術館は数々の名画が所蔵されていますが、今回はスペインのラファエロと称されたムリーリョを紹介します。

ムリーリョは1618年、13人兄弟の末っ子としてスペインの地方都市セビーリャに生まれ、不幸なことに9歳のころに両親を亡くして孤児となりました。13歳の頃には凡庸な画家の工房に入門しました。彼が本格的な創作活動を始めるのは27歳に結婚してからで、それ以前の作品はわずか数点しか残されていません。
彼の作品は聖母や幼児期リストなどを描いた宗教画の世界と少数ながら、路上の少年たちを中心とした風俗画や肖像画の世界とに大別されます。
また便宜上、1640年代後半から55年までの初期の頃を”冷たい様式”、1655年から70年頃までの中期を”熱い様式”、さらに1670年以降からその死までの後期を”靄の様式”を呼んでいますが必ずしも正確とは言えません。
彼が生まれたセビーリャというと16世紀には植民地交易の独占港として富と繁栄を欧化し、芸術、文化の上で”新しいローマ”としてもてはやされていました。
しかし1588年の無敵艦隊の壊滅によって制海権を失い、スペインは衰退の道を歩むことになります。それに追いうちをかけたのがペストと民衆暴動でした。すさんだ空気の中で人々は宗教に安らぎを求めます。そんな時代背景の中でムリーリョは登場し、親しみのある穏やかな画風によって神の愛を説きました。
今回紹介する作品のタイトルは全て「無原罪のお宿り」です。
「無原罪のお宿り」というのは、聖母マリア自身の誕生にまつわる信仰で、彼女が母アンナの胎内に宿ったその瞬間、神の恩寵により全ての原罪の汚れが免れたという説のことをいいます。
この説が教義として最終的に公認されたのは19世紀後半でしたが、それよりすでに16世紀には絵画の主題としてカトリック美術圏の中で盛んに取り上げられました。とりわけスペインは、聖母無原罪の教説を最も熱心に擁護した国であったため、この図像の発展において中心的な役割を果たしました。
具体的な図像については、その教義をスペインに普及させようとした、ベラケラスの師であるパチェーコが「絵画芸術論(1649)」において詳細に規定しています。

聖母は12、13歳の金髪の美少女で、衣は白、マントの色は青。天空に溶け込みそうな白とオーカーの楕円形の陽光に全身が包まれる。額から発する光の中に12個の純白の点からなる星の冠を頂き、下弦の月の上に立つ。画面の上方には通常、父なる神と精霊の双方またはいずれかが、天の花婿(キリスト)の言葉とともに配される。地上のものは風景の中に、一方天上のものは、必要ならば雲の中に配される。聖母のアトリビュート(象徴的持ち物)を持つ熾天使もしくは天使が描かれてもよい。

ムリーリョはこの規定を大胆に簡略化して、地上の風景を次第に削除するようになり、本来天から地にふるマリアをまるで天に昇っていくような溌剌とした姿で描きました。しかも彼が描くマリアは、どこにでも見かける可憐な乙女でありながら、ほどよく理想化されていて、その甘美で親しみのある雰囲気によって民衆から圧倒的な支持を得ました。結局彼は生涯に「無原罪のお宿り」を少なくとも20点以上を描いたと言われています。その中でプラド美術館に所蔵されている3枚をアップしました。



甘美で優しく、とても親しみやすいマリア ムリーリョ 「無原罪のお宿り」_d0059205_1938412.jpgここに描かれたマリアはまだあどけなさを残す少女で、白い衣をまとった姿は純粋無垢そのものです。ムリーリョは、パチェーコによって定められた12の星からなる光輪など約束ごとを排除し、処女性の表現に的を絞っています。ここではこの主題をあらわしている唯一のモティーフである月も、パチェーコの規定とは逆の上弦の月を、細く描いているにすぎません。マリアの姿は金色に輝く雲に囲まれ、画面の下方には地上の光景に代わって愛らしい天使が描かれているため、その神性はいっそう高められています。
1660年~65年頃
甘美で優しく、とても親しみやすいマリア ムリーリョ 「無原罪のお宿り」_d0059205_1938949.jpgこの「無原罪のお宿り」は、2002年度に国立西洋美術館で開催された「プラド美術館展」において展示されました。以前の同タイトルの初期の頃の作品に比べて、より愛らしさを増した聖母の幼げな描写が先ずは目を引きます。両手を胸に当て、天を見上げるマリアの甘く切ない表情は、16世紀ヴェネツィアの巨匠ティツィアーノにまで連なる、感傷的な聖女像の類型を受け継いでいます。ただし、「靄の様式」とも呼ばれる柔らかなタッチによる表現を、自在に操った晩年のムリーリョは、ティツィアーノの女性像にあったある種のなまなましさを、柔らかな空気感のうちに包み込んでいます。
1670年~80年頃
甘美で優しく、とても親しみやすいマリア ムリーリョ 「無原罪のお宿り」_d0059205_19381566.jpgこの「無原罪のお宿り」は、1678年にセビーリャのベネラブレス・サセルドテスの施療院の祭壇画として注文されました。しかし1813年にナポレオン軍によって剥奪され、長くスルト将軍のコレクションにあったことから「スルトの無原罪のお宿り」または「ベネラブレスの無原罪のお宿り」と呼ばれます。1852年に競売がかけられて、フランス政府によってせり落とされますが、1941年にプラド美術館に返還されました。
さてこの「無原罪のお宿り」は、ムリーリョの最晩年の傑作の1つに数えられます。光り輝く雲はいっそうの深みを見せ、天を見上げるマリアの恍惚たる表情とその軽やかな姿勢は、本来は天から降りてくるマリアをまるで天に昇っていくかのように印象づけています。
1678年頃


参考文献

2002年度の「プラド美術館展」の図録
「NHK プラド美術館第四巻」
by esthetisme | 2006-04-09 19:29 | 絵本